浄土真宗本願寺派光明寺の縁起(沿革)
合掌 御門徒の皆様におかれましては、御仏の、御光に抱かれつつ日々是好日にて、御清祥のことと拝察致し大慶に存じ上げます。

 顧みますれば、親鸞聖人を宗祖と仰ぎ浄土真宗の御教えを社会にひろめつつ法要儀式を営んでおります本願寺派光明寺は、終戦間もない昭和二十五年十二月開基住職「藤澤法雄」が初代総代長「前 与三」氏の力説を受け開基佛をかけた教堂を開設し、同じく十二月二十七日に「吉本善作・中原寅吉・倉田作太郎・辻口佐一郎・藤澤茂正・桑野与七・池田与三吉」各氏、連署のもと北海道知事 田中敏文宛、岩見沢市元町四番地に一寺創立の請願を致しました。年が変わり二十六年より酒井家「酒井フジ」氏による阿弥陀如来、田中家「田中フデ」氏による宗祖親鸞聖人御影、久保家「久保平ニ郎 さの」両氏による中興蓮如上人御影が順次に入仏安置されました。昭和二十八年本願寺の包括団体として寺号公称され二代目総代長「吉本善作」氏を中心に先に列記の方々と「伊東豊右衛門・小窪キヨ・福田セキ」各氏外数人の協力で伝導布教が確立したのであります。

 昭和三十六年岩見沢市都市計画により移転を要求され、弱寺の中にも翌年三代目総代長となる「五十嵐與一郎」氏(当時四十六歳)に陣頭指揮をいただき困難なる状況のもと(門信徒四十数戸)で事業を遂行し、現在の本堂の建立がなされたのです。

 「大坪文造・大坪栄二郎・坂上由松・岡山トキノ・小窪政雄・田中シゲ・辻口昭三・長沢隆一・村田広作・田辺徳次郎・西田政吉・池下茂作・田中清太朗・木崎マツエ」各氏外、建築資金募財と建築施行企画にご尽力いただいた方々の御名前は枚挙にいとま有りません。

 昭和五十五年十月開基三十周年を迎えるにあたり本堂と庫裏の内装・水洗化工事・屋根工事・その他付帯工事を完了し、三十周年記念法要が「五十嵐與一郎実行委員長」のもと盛大に厳修されました。

 昭和六十二年十月二十三日開基住職「藤澤法雄」往生(行年七十二歳)、護寺と伝導に邁進した長い間の苦労でありました。

 昭和六十三年三月、二代目「藤澤正記」本山より住職補任、総代代表者「大坪克敏」氏見届け人「久保清作・佐々木忠正・細川桂一・藤沢久」各氏が上山し継職をお受け致しました。

 平成の世に入り光明寺にも星屑の年月が経過し、本堂の痛みも著しく施設の不備な面も多々あり不便を感じつつ、改築の機運が何度か話し合われましたが、敷地の狭さが障害となり着工できず今日に至っております。その間に、長年にわたり光明寺の発展に御尽力賜りました三代目総代長「五十嵐與一郎」氏が光明寺の新築と開基五十周年法要をたいへん心に気遣われながら平成九年六月六日行年八十四歳を一期に往生なされたことは誠に残念なことでありました。

 しかし、その御意思は後を継ぐ方々に伝承され四代目総代長「佐々木忠正」氏ならびに光明寺新築建築委員会を要に開基五十周年(平成十二年)に向けて新たなる計画(寺地移転新築)を遂行すべく、邁進をしようとしているのであります。

 
藤澤法雄
開基住職
藤澤 法雄
前 与三
初代総代長
前 与三
吉本善作
二代目総代長
吉本 善作
五十嵐與一郎
三代目総代長
五十嵐與一郎
 
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平成10年4月 光明寺住職 藤沢正記 筆録
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浄土真宗本願寺派 北海道教区空知南組